Zeitgeist

留学した後の話。

「一人一業」

我が家には家訓というか、個々人が自由に生きる上での指針となるコア・コンピタンシーみたいなものがある。
直近であれば”Learn or Die”(学ぶか死ぬか)だとか、「信用」だとか、「本質」だとかが、価値観を示す共通言語体系になっているのだけれど、ただひとつご先祖様が残した「一人一業」という言葉だけは、今の時代にそぐわない気がして、しっくり来ないでいた。
初めてこの言葉を聞いた時、「一生をかけてひとつの事業に身を捧げねばならない」という多角化への牽制球というか、いわゆる日本的な根性論のように感じていた。
現代に限らず、歴史の偉人達の中には幾つもの事業で成功したり、多彩な才能を発揮した人物が数多いることも、この言葉をすんなり受け入れられなかった理由かもしれない。
 
だがこれは、単なる事業経営の考え方ではなくて、事業家としての心構えなのではないか、と今の僕は思う。
 
ケニアで、高校生から始めたプロジェクトを延々10年以上もひとつの事業として続ける特異な起業家と仕事をするうちに、世界の見え方が早くも変わってきている。
まだ2週間ほどだが、事業家の壁打ち相手として、彼の息遣いに耳を澄ませながら、ありとあらゆることを考える毎日。
学生時代のプロジェクトとも、研究とも、はたまた大企業でのサラリーマン生活とも、プロフェッショナルの世界とも全然違う景色に触れている。
 
一人の人間が、数年どころか10年、あるいはそれ以上の人生の時間を、自分の好奇心や信念だけで事業に注ぎ込むことの恐ろしさが、ヒリヒリと肌を刺すような感覚で伝わってくる。
そこには、(僕からすれば)英雄伝や成功者の回顧録のような高揚でも、壮大なビジョンへの感動でもなく、今この瞬間への不安で溢れている。
普通ならきっと頭がおかしくなってしまうであろうプレッシャーにめげることなく、日々ありえないことだらけの新天地で淡々と事業をすることが、どれだけ難しいだろうと、頭が下がる。
 
そんな視点に立つならば、「一人一業」という言葉は、「人生でひとつしか事業をしてはならない」ではなく「人生でひとつでも事業ができればいい」という意味に聞こえて来る。
「一人一業」は成功に焦る自分を戒め、何よりも励ます言葉だったのではないか。
 
正直今の自分に、事業を経営するということは想像できない。
だが、もしするとしたら、幾つもの事業を展開して大活躍するビジョンを信じることと同じくらい、今ひとつの事業・プロジェクトに向き合う自分を信じることがきっと大切なのだろう。
 
僕自身はといえば、まだまだ思考も度量も器が小さい。
半年なのか、一年なのか、その程度の時間軸でさえ、不安に心が折れそうになる。手が震えてくる。
この「一業」をときに事業、ときにプロフェッション(職業)、またあるときはプロジェクトと読み替えて、自分を励まして進んでいきたい。