「日本へ帰るということについて」
非常に重大な決断を下す時こそ、インスピレーションを大胆に実行に移さねばならない。
僕の20代を左右する就職は、まさにその好例だ。
心の奥底では、もう戦略が練り上がっていて、それが心の底から湧き出るアイデアだと気付いていながらも、一歩踏み出そうとしては踏みとどまる。
どうしても、オーソドックスな解の方が優れているようで、特に守りに入っている自覚がなくても、周りに従わない自分は大きな過ちを冒しているのではないかと不安がふくらんでいく。
なんだか、留学か浪人かで迷っていた慶應の一年目を思い出す。
社会の期待に逆らうことは、こうも難しいことなのか。
1時間話して、恩師は何も僕に助言を与えなかった。
ひとしきり話を聞いた後(鋭いツッコミは容赦なく飛んで来る)、 “I think it is completely rational”とだけいつになく語気を強くして言ってくれた。
この選択肢にするべきだ、とも言わず、さりとて曖昧ではない、何か絶対的なメッセージを放つように、僕の目をじっと見つめていた。
今日彼のオフィスに入ってからの僕は、不安にかられた就活生から、いつものアイデアを情熱的に語る自分に戻っていたように思う。
迷っている、と相談に行っているとは信じがたいくらい、確信を持って自分の仮説と戦略を話していた。
答えはずっと前から明らかだったのだ。
僕はグローバルだとかエリートだとかには興味はない。
一人の問題解決者として、一日も早くプロフェッショナルとしての実力を身につけて、自分の携わる分野に立ちたい。
アショカで、世界各地のフェローから学んだことがある。
それは、社会起業家は、いかなる環境であれ、絶対に自分の社会問題から離れようとしないこと。
どんな時でも、物理的あるいは精神的に自分が解決しようとする課題に真っ正面から対峙する覚悟なしに、社会変革は起こせない。
ブラウンを出たからとか、成績が良いからとか、業界に知り合いが多いから、とかは関係ない。
自分の足で、立たねばならない、踏みしめねばならない場所があるならば、一日も早くそこへ向かうべきだ。
そこへ行けば、間違いなく僕は苦しむだろう。
途方に暮れて、うんざりするに違いない。でも、それが僕を追い詰め、課題解決へと向かわせる原点にならなくてはならない。
決意に満ちた表情を浮かべた僕に、一つだけ教授がアドバイスをくれた。
“You’d better know whether you take the offer before calling them”
毎年、何人もの将来を期待されたブラウンの学生が、自由と独立と社会的責任感に満ちた校風の体現者たちが、最後の最後に社会の幻影に惑わされて輝きを失っていくのだと、彼は言った。
「だからこそ、決めておかねばならない。強かな戦略家であれ。志あるリーダーであれ。群れに従う哀れな羊になってはならない」
本当にありがとう。