Zeitgeist

留学した後の話。

2014年夏を振り返って

5月から8月までの3ヶ月の夏休みは、今までで一番長い夏だった。

いよいよ進路を決めねばならない重圧と戦いながら、ただ後悔だけは遺さないように、手当り次第に考えを実行に移して来た。

 

①アショカ

アショカで何をやって来たのか?あるいは、何を学んで来たのか?という問いに、僕は未だ当惑を隠せないでいる。ビジネスや金融の手法を使って社会問題を解決する事例を何百も調べ上げ、そのうちの数十に関しては詳細なレポートとチームでの分析を行った経験は貴重なものだったことは間違いない。さらには、独自に興味のあるテーマについてアショカ内外のリソースを駆使しながら調査をして、それが今後のアショカの方針に活かされるという僥倖にもあずかれたのはまさに幸運という他ないと思う。

 

日本にいる、僕の尊敬してやまない手厳しい友人たちは、そんなのではまだ何も社会が変わっていない、と僕を追い詰める。知らない人に適当な自慢をするには十分でも、本質的に僕が何を「成し遂げた」のかは、全くはっきりしない。

 

最も率直な印象を述べるなら、僕はアショカで人生の宿題をもらってきたのだと思う。

数々のフェローや社会起業家、彼らを取り巻く組織をチームのメンバーと検討する毎日を通して、僕の社会起業や社会変革へのイメージはかなりはっきりして来たと思う。何よりも、イノベーション、本質的な成果、将来の可能性、倫理観などに対する期待値はかなり上がった。また、彼ら自身がまだ今日にふさわしい「社会起業家」の定義を議論し続ける中で、新しく僕の視野に入って来たアイデアの卵のようなものもある。

ただ、こうしたことを考えるにつけ、最終的に僕に何が求められるかというと、社会起業家になること、の一言に尽きると思う。

アショカで出会った多くの優れた人々や仲間たち、彼らの世界観、そうしたものをスポンジの様に吸収して、僕なりの行動を興すこと。それは、必ずしも起業家ではないかもしれない、政治家かもしれないし、ビジネスマンかもしれない。でも、彼らの魂を受け継ぎ、彼らの世界観をともに社会に示していくことが僕に与えられた宿題だと思う。

 

つまり、漠然とした社会起業への興味から始まったアショカとの関わりは終着点でも何でもなく、新しい挑戦の前章であったということか。

 

②アフリカ

セネガル、ダカールへの弾丸旅行を決心したのは、ワシントンD.C.でのインターンが佳境を迎えた頃、TFJの教師仲間で今は開発コンサルにいる友人から誘われたのがきっかけだった。

当初は1週間程度の滞在を計画していたものの、急な予定の変更があり、数日しかいることができなかったのは本当に残念で、アフリカを見たどころかダカールを見たとも言えない程度の旅行になってしまった。

アフリカ最西端のヴェルデ岬で、真っ白な砂浜と紺碧の海原を眺めながら、ビーチでぼんやりしながら考えたことも多かった。

 

ただ、ダカールからは後進国というよりは新興国の熱気を感じたし、マーケットでなけなしのお金を真新しい携帯につぎ込んで、思い思いの買い物をする人々の活気からは、人口の4分の1が高齢者となった日本にはない未来への躍動感を感じた。一方で今なおアフリカを遅れた未開地域のように見なす風潮にも思うところがあった。

 

わずかな時間に現地での社会問題について話を聞いて見れば見るほど、開発の問題も日本のような先進国の課題も、本質的には社会や人がうみだした似たり寄ったりの問題に過ぎないことに衝撃を受けた。

はびこる賄賂も、不自然なインフラも、日本の箱ものや政治の系譜をたどれば、どれも真新しいものではない。

加えて、一億層中流階級と呼ばれた時代の終わりは、かつて一度は日本が克服した貧困と格差、そして思想的な危うさをも、日本にもたらそうとしている。

ますます、僕には先進国と新興国の「深刻な」社会問題の違いが分からなくなってくる

 

③日本と就活

日本滞在は慌ただしい。学期中にパソコンの隅に書き並べた人々の名前は100を越え、その中から本当に大切だと思うつながりだけを絞って面会をお願いする。

束の間の休息に安穏とするのもほどほどに、読書や研究の下調べをしながら、テーマごとに一つずつ纏めていくことに特に注意をした夏だった。

 

背伸びをしようとして、何度となく周囲の方に迷惑をかけたり、自分自身も気まずい思いをしたりした。その度に、厳しくも優しい指摘をして頂いたこと、感謝に堪えない。

過剰は不足よりはいいだろう、そう言い聞かせて未熟をさらしたのが今更ながら悔しい。

But again, “if you don’t fail, it means you aren’t pushing it far enough.”

 

進路を決めねばならない、分かっていたことであったが、実際これには心を随分と消耗させられた。とらぬ狸の皮算用で、慶應で毎日悶々としながら留学を目指していたとき以来の、憂鬱な日々が続いている。

これまで自分の強みであった、尽きることのない挑戦への渇望と焦りが、せっかちな自分をますます追い立てて、憔悴していったのは皮肉だった。

 

夏休みを終える段になって、アフリカから帰国したあたりから、幾分平常心を取り戻し、開き直ってなるようにしかならない、との決意ができつつある。

何とかなるはずだし、そのための下準備はもうできているはずだ。

それに、もしどこへも行く場所がなかったとしても、僕には当分打ち込める仕事が山ほどあることを再確認して、衒わずに気負わずに進路を決められたらと思う。

 

追記:

移動の車中で書き始めたこの文章を、ブログにすべきかどうか、ちょっと悩んだ。のたうち回る自分を公開することは恥ずかしくても、留学出発前の自分のブログにあふれる感情を今の自分が微笑ましく眺められるように、きっと5年後の自分が今より遥か先にいることを信じて、記事にしようと思う。

 

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