気候変動スタートアップ日記

ケニアのスタートアップで企業参謀をしていましたが、気候変動スタートアップを創業するためスタンフォードにいます。米ブラウン大→三菱商事→ケニア。

課題は見えないリターン

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昨日は、インパクト・インベストメントのもつ長期的な慈善以上のメリットについて言及した。

というわけで、今日は長期的なリターンを見据えた投資を行う上で、しばしば最大の課題となる投資対効果の測定について考えてみよう。

 

社会に投資するリターンは何ですか?
 ソーシャルファイナンスは、理屈では社会貢献がいつか自分や自分の子孫に還ってくるとわかっていても、具体的にどれくらい効率的に還ってくるのかが曖昧になってしまう。

なので、人々が慈善行為への満足感を「価値」として感じない限り、インパクト・インベストメントは一般的なビジネスでの「投資」へのリターンと比べれば見劣りがしてしまう。

 

「社会への貢献」や「社会変革」はいかなる形であれ、様々なプレイヤーや要素が複雑に絡み合って起こるものだし、自分の投資の効果が返って来るまでのタイムラグもある。

さらには、自分への価値還元でさえ、さまざま方向からやってくるといった具合に、システムの複雑さが仇となって、どれだけの対価が実際に支払われているのかを見極めるのは困難だ。(例えば、空気がきれいになると、ただ空気が美味しくなるというメリット以上に、自分が健康になって医療費が減ったり、周囲の住民の医療費も減る分、税金も減ったりするかもしれない。ここでは、自分が美味しい空気をすうためにいくら払うか、だけではなく、地域の医療費が減るなど自分以外の社会全体の循環の変化に対していくら払うかも考えないといけない。でも、そんなのをいちいち予測するのは事実上不可能に近い。)

つまり、法律に則った契約である出資や利息請求のように、借り手と貸し手が一対一でやり取りすることができない。

そもそも無数に存在するプレイヤー(つまり社会に存在する全ての個人と団体)とつながりをいちいち可視化するのは不可能といってもいいだろう。

結局のところ、「社会インパクトに対する投資」の最大の課題は、投資対象が明確にならず、リターンの内容も行き先もはっきりしないことだ。

 

 タダ乗りされる公共投資と長期的な目線

このように、Impact Investingは社会的に大きなインパクトをもたらす一方で、その「効果」の一部は社会全体に波及しフリーライドされてしまう。

加えて、特定の社会問題と自分に直接のつながりがない限り、どこまで自分にリターンが返ってくるのか可視化しづらい。

これは、税金と公共政策の世界ではよく議論されているテーマで、アメリカの一部の超富裕層は、「自分たちの税金は自分たち(富裕層)のために使われるべき」、と主張して論争になっている。

一見すると自分の税金が赤の他人のため、それも「自分たちほど努力していない」と思っている社会の底辺に対して投資されることに抵抗を感じる人もいるのだ。

 

だが長期的に考えてみれば、現在の大金持ちが事業に失敗して、孫や息子の代が生活苦に陥った時に、彼らが人間として健康で文化的な最低限度の生活ができるか、再チャレンジして社会で這い上がる為に必要な教育などを受けられるかどうかは、現在の彼らの納税にかかっているのだ。

ちょっと強引だと思うかもしれないが、どれほど現時点の自分にとって合理的で最適化されているからといって、それが長い目で見ても「最善」とは限らない。

彼らがロックフェラー家やケネディー家のように100年以上も繁栄し続ける可能性なんて、ゼロに等しい。

そうしたなかで、いつか没落する時に備えて、最低レベルの社会インフラを残すメリットを独立自治体の創設を訴える人々は無視している。

もし仮に、こうした自治体が誕生しても、長期的に見てかれらの子孫がずっとそこに「いさせてもらえる」理由がないという脆弱性はあまりに不確かだし、想像しづらいものなのかもしれない。

一見して無駄に見えても、実は無駄ではないという投資が存在する事実は看過されるべきではない。

 

Impact Investingが「善意」の世界から抜け出すためには、投資に対する社会的なインパクト(特に長期)を客観的に可視化できるのかが、ボトルネックとなるだろう。

こうした複雑なリターンを、どうやって客観的あるいは合意可能なレベルで指標化するのかは、社会起業家が増え投資家の選択肢が増えれば増えるほど、大切になってくる。 

明日は、インパクト・インベストメント最終回として、未来への仮説について書きたい。