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Zeitgeist

留学した後の話。

皿洗いをして考えたこと

日常生活 社会起業

4ヶ月の休学期間も、残り一月半。後輩や知り合いが期末試験についてポストをしている中で、「悔いはなかったのか」と自問する機会が増えてきた。

そもそも休学をしようと思っていたのは、燃え尽きが原因なのに、どうやら普段の学期中と同じくらい活動してしまったようである。

 

僕が、この休学中で一番やってよかったと確信しているのが、2ヶ月間続いた皿洗いのバイトである。

これまでバイトすら碌にしたことなかった自分が、「バリューを出す」とか、「世界を変える」みたいな大上段な立場ではなく、代替可能な労働力として、週2日、約20時間働いた。

忘れないうちに、学んだことを5つほど書き留めておきたい。

 

その1:禅としての皿洗い

禅を、心を落ち着けて自分と向き合う経験だと定義するならば、皿洗いは僕にとって週2日の禅であった。

普段ほとんどの時間を、読書や研究、プロジェクト、社交に費やす自分には、あまり頭を空っぽにして漠然と自分のことを振り返る時間がない。

皿洗いは、スピードと正確さこそ求められるものの、基本的に頭をフル回転させる必要のない作業だ。

どの皿が不足しているか、どの順番で拭けば洗い場が早く片付くか、などなど考えることはあっても、思考の質も量も勉強や仕事とは比べ物にならない。

時にはメモをとりながら、自分のやってきたこと、やっていること、そして次にやることを考える。

自分だけではなかなか取れない時間をお給料付きでとらせてもらえたのは本当に幸運だった。

休学という、方向性を見失いやすい期間に、週2日十分な時間を内省にかけられたのは非常に有意義だった。

 

 

その2:「下積み」をする

洗い場は、表厨房、裏厨房、パン屋、ケーキ屋すべての厨房の真ん中にあった。

だから、洗い物も人も、みんなそこに集まってくる。

皿洗いは基本的にバイトだが、シェフやパティシエ、パン職人はみんなプロフェッショナルたちだ。

キャリアの場として、厨房を見ていると、年齢ごとに厳格なハイエラルキーが存在することに気付かされる。

若いシェフは早朝から夜中まで、下ごしらえや仕込みに追われ、年長のシェフは悠々と出勤し退勤する。

怒号が飛び交う職場を、同い歳のシェフは「血気盛ん」と評したが、実際は戦場さながらの厳しい仕事場だ。

 

大学に入ってそこそこに学業も課外活動もこなしてきた自分は、いつしか大学生として「一流」であることに誇りを持つようになった。

それはあくまで学生という日本という「まことに小さな国の」実に小さなのコミュニティの中でのトップ層であることにすぎない。

だめなんだ。それでは。

世界には自分程度の学生なんてざらにいるし、あと一年で自分はこのミクロコスモスを卒業しなければならないのだ。

 

社会に出て働くことの厳しさを、自分は夏のインターンで改めて痛感した。

そして、結局のところ、自分は社会人としてまだ学ぶべきことがあまりに多いことに気付かされた。

僕は凡人である。抜きん出た成果があるわけでも、自分一本で飯が食えるわけでもない。

だからこそ、自分の持てる限られた能力と経験を最も大きな形で表現できるように、準備をしなければならないのだ。

そのために、社会に出て23年「我慢」する。

多分堪えられないし、自分で何かを始めるのははっきりと見えている。

でも今しか出来ない準備があると気付く。

それが「下積み」なんだと思う。

新入りのシェフが、料理の作り方はわかっていても、実際の厨房で矢継ぎ早にオーダーが飛んでくるのをうまくコントロールできないように、僕もまたやりたいことはわかっていても、実践の場でだれよりもうまくそれを出来る状態にはないのである。

明日の伸びんがために、今日ちぢむ「下積み」のために、僕は最初の仕事を求めたい。

 

その3:効率的にこなすということ

皿洗い、と一口に言っても、僕のいた職場はフレンチレストランとケーキ屋、パン屋が併設されていて、200種類以上の皿や鍋、ざるやボウルその他調理器具が常に流れ込んで来る。

それを洗った上で、クレームのないように拭き取り、所定の位置に届けるのが僕たち洗い場の仕事である。

皿を拭きながら、パン屋のトングやレストランのグラス、シルバーを滞りなく処理していくというのは、意外にむつかしい。

シェフが困らないように、洗い場が食器であふれてしまわないように、優先順位を付けながら手際よく処理していく。

一回に運ぶ皿の枚数や、移動の手順まで考えなければ到底間に合わない。

皿は皿で重ねればすぐに10キロ近くになるので、たしかに肉体労働ではあるものの、ひたすら優先順位を判断して仕事をするほうが大変だった。

もともと、自分はタスクをこなすのが得意ではなかったのが、これでかなり克服された。

ただひたすら仕事をこなすのも一つの技術であると思う。

 

その4:フォロワーとして働く

これまで、自分でやりたいことを実現するように生きてきた。

留学も、研究も、プロジェクトも、自分がオーナーシップをしっかり握って行動する方が、単に敷かれたレールをうまく走るより得意である。

リーダーシップをとっていて一番いらだつのは、周りが自分の指示待ちになって、他人事のようになっている状況だ。(ただ悪いのはフォロワーになっている人ではなく、そういう役割を与える場を生み出しているリーダー本人だと僕は信じている)

今回の皿洗いは、自主性が必要もなく、また認められもしない職場だった。

そういう意味で、人について仕事をする貴重な経験だったと思う。

これからは自分よりずっと大きな人について修行しなければならないのだから、僕はリーダーでありフォロアーであるべきはずなのだ。

両方をうまく切り替えられることが、今後の成長の鍵になると思った。

 

その5:生きるために働く

幸いにして、自分は恵まれた家庭に生を享けた。

幸いにして、自分の周りも多くはさしたる苦労なく、自分の夢や希望を追求できる環境にいる。

幸いにして、ただ生きるために働かなければならない階級の人ではない。

 

だが、レストランで働く中にはそういう人たちがいた。

自分に出来ることよりも、出来ないことを痛切に意識しながら、そのなかで自分の日々の生活のために一歩一歩を踏みしめて生きる人々がいた。

自分の周りのようにどんな業界でも通用する力を追い求めるのではなく、自分の職業に誇りをもち、その世界の中で彼らは働いていた。

 

以前の僕はそんな人々を「つまらない」と軽蔑していた。

だが、人生につまるもつまらないもないのである。

ひとそれぞれに生き方があり、尊厳が備わっている。

 

自分はまだ学生の身分である。いわば社会の食客だ。

それを忘れてはならない。自分の野望を逞しく追い求め、同時に生活を築かなければならない。

 

年の瀬の慌ただしさに、流されないように、残りもしっかりやることをやりたい。