気候変動スタートアップ日記

ケニアのスタートアップで企業参謀をしていましたが、気候変動スタートアップを創業するためスタンフォードにいます。米ブラウン大→三菱商事→ケニア。

Komaza 41週目:メリア実験林の視察

今週のスタートは、ナイロビとモンバサの中間地点にある、キブウェジ(Kibuwezi)という町への出張で始まった。
朝5時に起きてキリフィを出発、海沿いのモンバサから内陸に約300キロほど陸路で進むと、バオバブが群生する田舎町に到着する。
道中には、アフリカ象で有名なツァボ国立公園や中国が受注して話題になったモンバサ・ナイロビ新幹線も通過するので、ちょっとだけワクワクしていた。
 
今回の出張はファイナンスとは全く関係のない、林業関係のプロジェクト。
僕もKomazaに来るまで知らなかったのだが、日本とケニアの林業を通じた交流には長い歴史があるらしい。
そもそも、ケニアの林業行政には、Kenya Forestry Service(KFS)とKenya Forestry Research Institute(KEFRI)という政策実施・技術研究の2機関が中心的な役割を果たしているのだが、この両方とも発足時から日本政府による資金と技術両面での支援を受けている。
JICAのウェブサイトによると
JICAでは、森林保全・劣化防止を重点支援分野とし、特に半乾燥地における森林保全については1987年から2009年までの22年間にわたって、農地への植林を推進する社会林業強化に係る支援を実施してきました。
というから、長くても数年、短いと数ヶ月単位になりがちな国際支援のなかで群を抜いて長期の取り組みをしていることになる。
 
そんなこともあり、ケニアにくる前にお会いした国連機関の方にもケニアでFarmer Forestry(零細農家向けの林業)プログラムに関わった人がいたり、Komazaが農家と植えているMelia Volkensi(メリア)という樹種を実はJICAが数十年単位で研究支援していたり、思いがけない縁がつながることが何度もあった。
 
今回の出張も、JICAとKEFRIが取り組んでいるMeliaという樹種の開発現場を見学するというもので、普段パソコンの前でしか仕事していない自分は大興奮。
林業という短くとも5年、長ければ数十年という単位で育種している方には、頭が下がるし、時間がかかる分計画に頭を使っているので、同行した育種の責任者と二人で勉強になりっぱなしの1日だった。
「現場で頑張っている日本人がいるのなら」と訪問を快諾してくださったJICAの方々には本当に感謝です(もちろん手ぶらにならないよう色々準備はしてますが)。
 
ファイナンスに関わると面白い人にあったり、ビジネスにつながる情報をつかんだりすることが間々あるので、逃さず事業のために案件化すべし、という三菱商事の先人の教えはスタートアップには特に大切だと思う。
領域外でも出せる成果にこだわって、付加価値のあるファイナンス部隊を作って行きたい。

 

 

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日本のJICAとの協力が入り口に掲示されている)

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(広大な敷地でメリアとアカシアという耐乾燥性の高い商業作物のテストが行われている)

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(メリアの花)

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(アカシアの実験林)

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(メリアの林)

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(メリアの果実。この中に種が入っている)

 

 

Komaza 40週目:

びっくりした。もうKomazaに来てから40週目、280日たったのだ。
今週は月曜日の朝早くに日本から戻って、そのまま仕事始め。
キャッチアップしたり、仕切り直したりとやることは山積みだったけれど、休暇のリフレッシュ効果は抜群で、サクサク仕事が片付いていった。
休みのタイミングを欧米の夏休みシーズンと合わせたのは正解だった。
 
とはいえ、月末からはクレージーなファンドレイズの波がくる予定なので、それに備えて粛々と準備をして行きたい。
火の手があちこちで上がってからトリアージするのがスタートアップと言われても、きちんと考えた施策の方がとっさの機転よりもほとんどの場合正しいはずなので、弛まずたゆまず課題の事前発見・解決に注力していく。
 
ありがたいことに2週間マネージャーが不在にしていたとは思えないくらいチームも冴えているので(ウィル・スキル両方ある人を採用して大正解)、徐々に脱個人商店化を進めていきたい。
作業をしていればいいフェーズから、仕事を定義し、リソース配分含めて考えないといけない。
正直ここは暗中模索なので、本や記事も参考にしながら、必要なスキルを身につけていきたい。
 

f:id:tombear1991:20180610124242j:plain(ビーチライフに戻って来たものの、気温が20度で寒い!)

Komaza 39週目:長野旅行

2週間の日本帰国から、ケニアに戻ってきた。

留学時代から基本的に一時帰国はお世話になった方々へのご挨拶や友達の飲み会などでぎっしり予定を組んできたのだけど、今回は1月から走りっぱなしだったこともあり、心身共に燃え尽きていた。

本当は直接進捗報告したかった方々にもきちんと会えなかったのは、申し訳ない気持ちでいっぱいだ。

しっかり寝込んで体力も気力も回復したので、残りの半年も全力投球していきたい。

 

せっかくなので、何枚か写真を。

 

黒部第四ダム

今回のハイライトは、「黒部の太陽」でも有名な黒部第四ダムの見学と長野旅行。

ファイナンスの仕事は、まだできていない、みえていないものを支える仕組み作りのようなもので、建設や起業のようにものを手触り感を持って作る仕事とは性質が違う。

 

日々投資家と会話する中で、数十億円とか数千億円とか、時には数兆円という単位で議論をすることも少なくなくて、そういうスケール感で仕事について考えられるのはファイナンスの醍醐味だと思う。

一方、全てを数字に落とし込んでいると、時々肌感覚として金額の持つスケールや現実世界における意味みたいなものの実感値が薄れてくる。

例えば不動産だったら「ロンドン中心地のオフィスで〜平米」、エネルギーなら「国内のソーラー〜MW」、企業なら「〜業界でEBITDA〜億」といった具合に、具体的な情報がさほどなくても、主だったベンチマークだけで金額が見えてきてしまう。

本当なら、利用者や地域のコミュニティなど人々の実生活へのインパクトがあるはずなのに、ほとんどの情報は頭の中で記号化され、比較可能な形になってしまう(というか新卒の時からそうするトレーニングをしてきた)。

 

業務上はDD以外で「手触り感」は特に求められなくとも、ファイナンスを仕事にする以上はプロジェクトの目的やそこに注入された熱意も感じ取れる存在でありたい。

そう思って、高度経済成長の出発点であった工業化、それを支えた一大プロジェクトの黒部第四ダムの現場を見てみようと思ったのが、今回の旅行のきっかけ。

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(放水中の黒部第四ダム)

このダムの総工費は1950年代当時で513億円、当時の関西電力の資本金の5倍を投下した国家プロジェクトで費用の4分の1は世銀からのドル借款で賄ったというから、戦後日本のプロジェクトファイナンスの歴史の中でも重要な案件だったようだ。

 

ラッキーなことに観光放水もやっていたので、写真をとるには絶好のタイミング。トンネルの中はひんやりとして上着がないと寒いレベルだった。

東京からは新幹線で長野まで行って、そこからバスで約2時間。

道中に見える日本アルプスには6月とはいえ雪が残っていて、清々しい気持ちになる。

おすすめです。

 

 

別所温泉

古くは平安時代に遡るという信州の古湯。

高校の地理で習ったような山間集落に、国宝や重文に指定された神社仏閣が密集していて、かなりディープだった。

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(常楽寺境内にて)

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(安楽寺 国宝八角三重塔 屋根が4段あるが、構造上1段は飾り屋根になっていることから三重塔と呼ばれ、日本最古の木造八角仏塔)

 

上田市

乗り換え駅だったので、途中下車して散策。

武勇で鳴らした真田幸村が徳川軍を破った上田城も趣があったけれど、個人的には藩主の住居跡をそのまま使った上田高校の校歌が一番印象的だった(マニアックですが、文語調の名文だと思うので掲載しておきます)。

秋玲瓏(れいろう)の空衝(つ)きて ゆふべ太郎の峰高し
春縹渺(へうべう)の末けむる あした千曲の水長し

関(くわん)八州の精鋭を ここに挫(くじ)きし英雄の
義心(こころ)のあとは今もなほ 松尾が丘の花と咲く

古城の門をいで入りて 不動の心山に見る
我に至高の望あり 挙世の浮華(ふくわ)に迷はむや

たふとき霊(みたま)血に承(う)けて 不断の訓(をしえ)川に汲(く)む
我に至剛の誇あり いざ百難に試みむ

自分を卑下することがない、健全な野心が清々しい名文で、どんな卒業生がいるのかと思ったら東急財閥の創業者、五島慶太もここの出身らしい。

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(真田神社) 

 

Komaza 38週目:「万引き家族」から社会課題を考える

是枝監督の「万引き家族」が衝撃的だった。
ネットで前評判をチェックした時は、「時代を象徴している」とか「日本の暗部に焦点を当てた社会派」だとか、映画の強いメッセージにこころ動かされる人が多い印象だったのだけれど、実際の作品を見た感想はむしろメッセージ性とは真逆。
安直な社会批判や感情の揺さぶりに頼らない、深みのある作品だった。
圧倒的なリアリティと最小限の描写、度肝を抜く構成が全て揃って観客の価値観を揺さぶる、いい映画だと思うので、感じたことを書いてみよう。
 

曖昧さ

世に言う社会派の作品には、現状への強い怒りがあり、何かをしなければならないというドライブがかかっている。
ザ社会小説の大古典、レ・ミゼラブルであれば、飢えを凌ぐためにパン泥棒をして人間としての尊厳を貶められたジャンバルジャンが怒り、ちょっとした職場の諍いから娼婦に身を落としたフォンティーヌが悲劇の象徴として登場する。
映画作品でも、ベトナム戦争の悲惨さを描いた「地獄の黙示録」のような作品に至っては、生々しい暴力シーンの連続で見るものに強烈な印象を与えている(観客は戦争の非人道性を目撃する)。
 
そんな、明確な怒りやメッセージは、万引き家族には登場しない。
 
児童虐待や貧困、高齢化といった今の日本のテーマがあちこちで登場する一方で、直接的なシーンは万引きくらいのものだ。
登場人物にとって重要な出来事でさえも、状況証拠ともいえるシーンをはさんで、本当に何が起こったのかは観客の想像力に委ねられている。
 
感情的にしようとすればいくらでもできたであろうパワフルなシーンを省いたことで、観る者は静かな傍観者としてのまなざしを持つことができる。
それは、激しやすい感情ほど冷めやすいことを熟知した監督の「社会問題は消費の対象ではない」という信念なのではないかと思う。
観客はカタルシスに浸ることを許されない結果、一層映画に引き込まれていく。
 

非合理で無力

この映画の主人公たちは、みんな無力で嘘つきだ。
最初はどこにでもいる普通の家族に思える登場人物も、一人ひとりの秘密が暴かれ、最後には「嘘の共同体」であった家族そのものが崩れ去ってしまう。
きれいごとはなく、弱々しい子どもや優しげなおばあちゃんだって秘密を抱えている。
 
監督のメッセージの代弁者であるはずの主人公は恐ろしく無力で、「こんなことでいいのか?」という社会への問いかけは一切存在しない。
過去の罪から逃亡した夫婦も、万引きをすることに疑問を持った男の子も、自分を疑うそぶりは見せても、決して言葉で社会(や警察)に疑問を投げかけようとはしない。
むしろ、彼らの行動からそうした「こんなことが許されていいのだろうか?」という一般社会への疑問そのものが欠如していることこそ、本作品が取り上げた「無力」を象徴しているかのようだ。
 
自分の過去や生い立ちの不幸をあるががまにかなしみ、知らず知らずのうちに物事を悪い方へ進めてしまう無力な人々の姿。
正義の味方もいないし、彼らの為に手を差し伸べる人も存在しない。
最後に登場する警察や検察といった国家機関でさえ、隠された真実を暴く舞台装置としてしか機能していない。
それどころか、彼らの無邪気な問いかけを通して、こうした社会的強者がいかに自分たちの狭い判断基準でしか、人々を見ることができないのかを観客は体感する。
問い詰められて黙っている主人公たちは、「論破された」のでも「反省している」のでもない、理解されること自体を諦めているようにもみえる。
 
もともとは警察と同じ、社会的常識の代弁者であったはずの観客も、この諦めを追体験することになる。
登場人物の複雑な状況を全部見てきたせいで猛烈なもどかしさを覚え、「そういうことじゃない!」と叫びたくなる。
いつの間にか、強者だったはずの観客は弱者の視点でこの映画をみることになる。
古典的なDramatic Irony(登場人物は知らないことを、観劇者は知っているという演出)を通じて、無力感そのものを観客が追体験するのがこの映画の醍醐味なのかもしれない。
 
 

人の苦しみは明快で、合理的なのか?

貧困を議論するときに、中長期的な利益を考えない、場当たり的な意思決定に原因を求める場合が少なくない。
今でこそEmpathyやDesign Thinkingが開発・ソーシャルセクターに浸透しているが、ほんの20−30年前まで、「被支援者=弱者=教え導く必要がある愚かな存在」という上から目線も珍しいことではなかった。
社会課題を解決しようとして「当たり前」や「社会的正義」を押し付ける側のロジックには、少なからず想像の貧困が潜んでいる。
 
この映画の登場人物は、万引きを始めとする一連の犯罪行為だって、生きていくためにしょうがないことを理由に場当たり的に決めていく。
主人公たちは自分の人生を成り行きに任せているのだ。
「常識的」に考えれば、万引きはいけないことなのでするべきではないし、犯罪を通して偽りの家族を作り上げた主人公たちの判断はことごとく間違っている。
子どもからお年寄りまで、全員がやましさを抱え、自分の傷を隠しながら、身を寄せ合って暮らす集まり。
そこに一元的な正しさ、(課題解決好きが求めてやまない)あるべき姿を持ち込むことに意味はない。
 
主人公たちのおかれた個別の状況は、「社会問題」という大上段の議論ではマクロすぎるし、「たまたま運が悪かったかわいそうな人々」というミクロな同情で処理するには今の社会を象徴しすぎている。
ミクロでもマクロでも捉えきれない、曖昧で割り切れない社会のあり姿を、そのまま露呈させ、古典的な悲劇の技法で観客に追体験させる本作品。
社会課題に携わるものとして、観ておいてよかったと思う。

Komaza 35週目:チームが全員揃いました!

アップロードしたつもりが、ドラフト保存されていたことに今更気づいたので、遅れて更新です!2週間前なので、時制がずれますが、そのまま掲載します!
 
ーー
昨日ケニアに到着した新しいチームメンバーをドキドキしながら迎える日がやってきてしまった。
彼は、僕が総合商社のファンド投資部隊で連日悪戦苦闘していた時からの戦友だ。
日本で初めての国内インフラ投資ファンドの立ち上げやインドを中心にする新興国インフラファンドでの投資実務経験もあり、いわゆる日系大企業らしくないガツガツしたプロ根性で残業飯を食べながらキャリアについて語りあう仲だった。
週末にはCFAの教材を持ち寄って勉強会をしたり、お互いの仕事の悩みを相談したりした。
 
そんな関係だったので、僕がいざ退職してケニアに行く決断をした時のことも、彼はリアルタイムで知っていた。
国際機関や開発銀行などと迷いながら、最後にケニアのNGOに決めることになったのも、実はといえばソーシャルファイナンスをどうやったらキャリアにできるのか、ファンド開発をしたり、新しいアセットクラスを作るにはどうしたらいいのか、彼と熱く語り合ったことが影響していると思う。
そんな彼と最後に直接会ったのは、去年9月の最終出社日、同期が開いてくれた歓送会だった。
商社マン生活最後の華金だからと、六本木のクラブで散々騒ぎ、締めのラーメンを西麻布の赤のれんで一緒に食べたのが最後。
 
数ヶ月後、チャットをしていたら、彼がKomazaに興味を持ってくれているという。
正直びっくりしたし、最初は「あくまで興味」と思っていたから、実際に僕がチームを作ることになって採用募集をかけ、本当に彼のアプリケーションを目にした時は、信じられない気分だった。
それからは、何度もラインで話をりしながら、お互いの期待値をすり合わせていった。
とはいえ、元々は毎日のようにキャリアやファイナンスについて語り合った仲、気づいたら彼が本当にジョインしてくれることになっていた。
会社名と関係なく尊敬する仲間と仕事ができることは嬉しいし、そんな仲間から信じてもらえたことにいささかの責任も感じる。
もう一人のケニア人メンバーに加えて、自分より優秀なチームメンバーばかりが来てくれて、まとめきれるのだろうかという不安も正直あるけれど、それ以上にこれからの冒険が楽しみで仕方がない。
明日からも、頑張るぞ。