気候変動スタートアップ日記

ケニアのスタートアップで企業参謀をしていましたが、気候変動スタートアップを創業するためスタンフォードにいます。米ブラウン大→三菱商事→ケニア。

斉須政雄「調理場という戦場」

久しぶりの読書ネタは、三田にある高級フレンチレストラン、コート・ドールの斉須政雄シェフの修行時代を描いた一冊。
もともとはライフネット生命の岩瀬さんが講演でおすすめしていたのがきっかけで手にとった本で、歴史上の人物の伝記や自叙伝を含め数百冊は読んできた中で、間違いなく5本指に入る最高の修行記。
こじんまりした、それっぽい体験談をいくつか並べただけの薄っぺらい海外体験記や挑戦記が流行っている昨今、久しぶりに血がたぎるのを感じた衝撃的な一冊だった。
 
フランス料理のシェフを目指して日本を飛び出した著者が、12年間の武者修行を振り返る。
言葉も通じず、気を許せることもない過酷な環境で、寝る間も惜しんで働き続け、次第に料理人としてのあるべき姿を確立していくストーリーは、料理に限らずあらゆる職業人にも当てはまる内容だと思う。
 
海外に行ったら苦労しましたとか、新しい事業をやったら大変でしたとか、他人の苦労話から学べることは多いのだけれど、著者のように「フィジカルに周囲にぶつかっていくことで学ぶ」激しい体験と「世界の本流で勝負する」経験の両方をしたひとの話には、覇気を感じる。
極限の環境で自問自答しつづけたからこそ生まれる感情や境地といったものに痛いほど共感を覚えた。
特に印象に残った箇所について引用を交えて書いてみたい。
興味のある方は、同じテーマでほぼ日の糸井重里さんとの対談が掲載されているので、こちらもご参考まで。
 

本流で勝負するための心構え

日本人で周りの空気を読んで、横並びでは抜きんでることはできないし、まして異邦人として挑戦するなら尚更のこと上手に頭角を顕さなければならない
 
「相手に不快感を与えることを怖がったり、職場でのつきあいがうまくいくことだけを願って人との友好関係を壊せないような人は、結局何にも踏み込めない無能な人です」
 
厨房の中の世界は、プロ料理人たちがキャパシティギリギリで仕事をする激しい場で、言葉だけではなく、鉄拳の応報もしばしばらしい。
オフィスで殴り合いをするわけには行けないけれど、チームの成果に向けた発信をすること、あえて苦言することはプロとして求められる矜持だと思う。
最近はエモーショナル・インテリジェンスやエンパシーなど、どちらかというと優しさを重視するプロフェッショナル論が増えているが、ガチンコの業界ならどこにでも真剣勝負の厳しさがあることを思い出させてくれる。
 
一方で、激しさに身を置く時こそ、静的な、普遍的な実力が意味を持つと指摘する。
 
「窮地に陥ってどうしようもない時ほど、日常生活でやってきた下地があからさまに出てくる。それまでやってきたことを上手に活かして乗り切るか、パニックになって終わってしまうか。それは、日常生活でのちょっとした心がけの差なんです」
 
「毎日やっている習慣を、他人はその人の人格として認めてくれる」
 
精神の図太さだけではなく、繊細さを日常にしてしまうことの力もこの本では何度も強調されている(本に出てくる著者のレストランの厨房は本当にピカピカで迫力がある)。
料理人の世界の掃除のように、ビジネスや金融の世界にもそれぞれの基本がある。
 
厨房に掲げている5か条は、毎日自分に問いたい内容だ(早速、日時レビューに付け加えた)。
一、至誠に悖るなかりしか。
一、言行に恥ずるなかりしか。
一、気力に欠くるなかりしか。
一、努力に憾みなかりしか。
一、不精に亘るなかりしか。
 
徹底して生まれる凄みが人生の重みになる。
 

 

海外で挑戦する覚悟

これは元留学ブログ垢として、個人的に共感する部分が多かった。
 
「表層だけに触れ、すべてわかった風に錯覚してしまう。『フランスに行ってきました』と言う人の中には、残念ながらそういうケースも多いと思います。(中略)しかし、水面を見ただけではまだわからない。深海にはもっと養分の濃いものが蓄積している。沈殿している深海水のように…….。ぼくは、そこまで至らなくてはいけないと思っていました」
 
いかに満足せず、表面のコミュニケーションを掘り下げていけるか。
留学していた時に、どうすれば一流の学生になれるか毎日悩んでいたのを思い出した。
ある程度きちんとしたコミュニティーにいると、相手の気遣いがうますぎて自分も彼らの仲間に入っているようについ錯覚してしまう。
行き違っていたり、対等に扱われていないことに気づかない留学生に何度も出会ったし、そういう人に限って「もう学ぶことはない」と豪語したりする。
異邦人としての身の程を認識して、そこから中に入っていくことの難しさ。
特にヨーロッパで、しかもアカデミアでもビジネスでもない分野となれば、相当きつかったんだろうと思う。
 
「自分が酸欠状態のところまで行っても、『日本人である自分ががフランスで活躍できて当たり前』という状態にしておきたかった。そうしないと、あとに続く人がたいへんになる、とも思っていました。ぼくにしても、諸先輩型方の築いてくれた道があってはじめてフランスで仕事する入り口に着いたわけで、あとの人が立ち寄るはずの船着き場を自分が粉微塵に壊してしまうわけにはいかない。あとの人のための足場だけでも作っておきたい。そういうカラ元気で動き回っていた気がします」
 
痛々しいまでの追い詰められ方で、胸が締め付けられる。
自分の場合は、留学してようやく英語も追いついてGPAが4.0で安定し始めた時に、ふた周りくらい上の先輩から、「日本のプレゼンスを上げたいなら1番だけを本気で目指しなさい。勝たないと意味がない」、と言われたのが転機になった(その後卒論で日本人初の最優秀を取り、きちんと学部の壁に名前を刻んだ)。
いつの時代も先人の苦労に敬意を払って、後進に道後を残すのは海外に出る者の務めだと再認識した。
個人の成功は大前提だけれど、それ以上に後に続く何かを残せるかをケニアでも考えたい。

 

世に出るまで

「子どもが子どもらしく過ごす時代を必要としているように、見習いは見習いの立場にいる時に、徐々に自分の目指す技術や夢について思いめぐらすことを必要としているのではないでしょうか」
 
料理人という業界もあって、筆者は若者こそのびのびと守られた環境で育ち、一発屋で終わらないだけの深みと幅をつけてから独立することを勧めている。
20代でユニコーン企業の経営をするのが珍しくない今の起業社会にどこまで当てはまるかわからないが、少なくとも投資や金融という経験と専門性がものをいう分野にいる自分には参考になる。
意思決定を自分のリスクではなく他人のリスクで目撃し、そこから学びを貯めることは若手の特権だと思うし、将来の成功可能性を高めることになる。
 
「はじめは誰でも真似から入るものだと思います。ぼくもそうでした。真似で入って真似で終わる人もいれば、真似から抜け出す人もいることでしょう。でも、真似と体験がなければ、オリジナリティまで行き着けるかどうかはわからない。やってみないと、自分が優れているのかどうかさえわからない」
 
当たり前かもしれないが、だからと言って若者は黙って働けと言っているわけではない。
筆者自身、最初のお店は4年近くいても、そこから時に数ヶ月単位で修業先を移動しながら、いろいろな知識や経験を重ねていったのだ。
むしろ筆者の真意は、「本当にやりたい大きな挑戦に向けて、小さな挑戦をリスクをコントロールしながら積み重ねる時期も大切」という意味で、実は彼ほど「とにかくかくやってみる」精神に富んだ人は少ない。
 
プロフェッショナリズムというととかく、職人気質さとか、こだわりとか、そいいう細かな部分にだけ焦点を当てる人が多い。
そんななかで、いかに自分の学びを最大化し、夢に向かって生き様を積み重ねていくのか、その思考過程まで描いてある本は希少だ。
 
異邦人としてシェフを目指して名店を渡り歩きながら、何を学び、どうやって自分をそだてていくのか、シビアに進路と師匠を選びながら過ごす若手時代。
 
そこから得られる視点と熱量は他作品に代え難い。
いい本でした。
 

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Komaza 18週目:

今週はレッドアイでフランクフルトから帰国して、そのまま仕事始めというキツめの一週間。
投資家対応もしながら、事業計画書も作りながら、全社員向けのプロジェクト説明資料も用意するというハードな一週間。
ドイツで買い込んだコーヒーを大量に注入しながら、なんとか走りきった。
金曜日には全社員に向けてコーポレートファイナンスとは何か?というテーマでレクチャーをして、いつもオフィスの片隅でカチャカチャパソコン叩いている自分が何をやっているのかもなんとか理解してもらえた(はず)。
 
全然違う話題だけれど、キリフィにはDistant Relatives Ecolodgeというヒッピーに大人気のロッジがある。
そこは毎週の金曜日、釜で焼いたピザを売っているバーがあって、一帯に住む外国人や旅行者の憩いの場になっている。
医療関係者から旅行者、アントレプレナーまでいろんな人がいるんだけど、今回会ったのは世界一周旅行を経て6年かけてケニアに伝わる造船技術で外洋航海可能な帆船を建造して、ボランティアのクルーをあつめて航海するというMusafirというプロジェクトを始めたパオロというイタリア人。
世界中を旅した経験から、周囲から与えられるだけではなくて何か与えることができないか、と考え続けて本当にプロジェクトを実現してしまった。
 
自分は極度に目的志向が強く、なんとなく世界一周とか絶対に無理なのだけれど、そういうことばっかり言ってると柔軟性もクリエイティビティもないビジネス馬鹿になるということも理解しているので、何の根拠もないところから想いだけで始まったプロジェクトは心から尊敬してしまう。
近々ラムーなどへの航海もするようなので、ぜひ行ってみたい。

 

vimeo.com

 (帆走だけでエンジンなどの動力は一切使わないらしい)
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Komaza 17週目:フランクフルト出張とマクロ環境

先週のブログでも書いた通り、今週のハイライトは何と言ってもフランクフルト出張だった。
詳細はまだ非公開なので、具体名はここでは出すことはできないが、グローバルのメジャーな開発銀行や財団、投資銀行などが席を連ねる気候変動関係のアイデアコンテストが今回の出張の目的。
 
当日は欧州で最も環境負荷が低いのが自慢というピカピカのオフィスビルで、丸一日プレゼンをしたり、質疑応答をしたりする。
質疑応答はファイナリストに選ばれている各団体の代表者がすることになっていて、約10分ほど審査員からのコメントや質問に対して説明をすることになる。
今回は一応CEOにもケニアから電話参加してもらっていたが、結局接続が悪かったので一人で全て応答した。
他のファイナリストにはこの業界で知らない人はいない大手NGOや企業も入っていたので、ドキドキしながら発表を待つ。
 
そして、結果は。。。
 
 
 
選出。
 
 
ということで、会社としても個人としても経験の少ないフィールドで世界最大規模の国際金融機関と事業開発ができることになった。
 
今回のプレゼンは、卒業論文のディフェンス以来初の単独・英語プレゼンで、相手はディレクタークラスのプロフェッショナル、競争相手もキャリア10−30年のベテラン揃いだったこともあって、大きな自信になる。
 
一方、当然のことながら、今回の成功のほとんどはファウンダーを始めとするチームがこれまでの事業作りの上に成り立っているので、自分の貢献はあくまで事業の可能性を「正しく伝えた」ことにすぎない。
今後このチャンスを活かせるかどうかは、事業責任者たる自分の双肩にかかってくるので、事業成長に向けた世界初のファイナス手法の確立に邁進していきたいと思う。
 
P.S.
そうこうしているうちに、経済の修正局面に入りそうになっている。
今のところ、ダウ・日経・欧州が株価を下げ、メディアでもついにやってきた修正局面を注視する記事が出始めている。
個人的には今回の「バブル」の本丸はシリコンバレーのテック企業を始めとする株価の暴落になるのではないかと思っており、その結果として自分のいるインパクト投資や新興国投資の風向きも、猛烈に資金が余っている今の状況から一気に悪化する可能性が高いとみている。
そうした時に向けて、気候変動関連など一般投資家の手がついていない公共性の高い資金をいかに掴んでおけるか、ファンドレイズの話を一歩でも前に進めることができるかが、ファイナンス戦略を担当するものとして極めて重要になってくる。
すでに戦いは始まっていることを肝に銘じて、日々の仕事に向き合いたい。

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(聖バルトロメウス大聖堂から見たフランクフルト)

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Komaza 16週目:

今週は先週に引き続き、会社の事業紹介のスライドを仕上げていく。
今の会社はエクイティ・ベースの資金調達を始めてから約2年が経っているので、その間の業績や事業拡大に向けた進捗状況を取りまとめる必要がある。
ベンチャーなので、すでに整理されたデータはほとんどないので、基本的な経営指標を測定する上で必要な情報を各部門にお願いして出してもらい、そのモデルをそれぞれ担当者と読み解きながら、一つ一つの分析資料にしていく。
 
経営計画の策定や投資案件の係数管理は、前職でもやっていたことだが、具体的な事業の部門ごとの指標管理というのは、指標の定義から考える必要があるので、思った以上に時間を取られた。
幸いにして来週頭には全てのデータが出揃う予定なので、そこでひと段落つけたいところ。
 
下っ端アナリスト的に資料をひたすら作り続ける作業と、プロマネ的に全体感を描く作業と、両方を同時にしてしかも期日を守るというのが、難しい。
特に、企業の中身の数字を分解しながら理解するキャッチアップの部分も大きかったので、業務量見積もりと実績が大幅に乖離したのは反省している。
特に、1回のヒアリングで主要な論点を聞いた後、具体的なデータを出してもらうまでの時間でしっかり1週間はかかることを織り込んでおく必要があったと思う。
調べれば調べるほど、気になる部分が出てきてしまい、何度か遭難しかけたが、こういう時こそ当初のスコーピングに沿った割り切りを一旦はすべきなんだろう。
 
来週は、ドナー関連でオフィス訪問とフランクフルト出張の2本立て、さらにもう投資決定直前の案件のラスト・ワン・マイルが待っている。
気張って行くぞー!
 

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人生初の途上国生活3ヶ月目で見えてきた3つのこと

この前、日本にいる友人とスカイプをしていたら、「初途上国生活で何か心境の変化はあった?」と聞かれたのだけど、改めて考えてみると当初の「何が起こるかわからないからとりあえず全方位警戒」というフェーズは早くも抜け出しているような気がする。
せっかくなので、これは明らかに変わったなと思うことを3つ紹介したい。
 

①脱かわいそう目線・脱遠慮

今いる会社のオフィスは幹線道路から脇道にそれたところにある
下の写真を見るとわかる通り、オフィスのある建物の真ん前には小さな農家が木の枝と泥壁で建てた家に住んでいて、子どもたちの多くは靴も履かずに遊びまわっている。
現地ではそれが当たり前でも、最初来た時はそれなりに衝撃があった。
特に、会社の本拠地であるキリフィ群は沿岸部は外国人が別荘を構えるリゾート地であり、その世界観との生々しいギャップに毎日違和感を覚えた。
 
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街に出れば、毎日通勤に使うオートバイの運転手から、燃料代をせがまれたり、家族が急に病気だから一時のお金を貸してくれと頼まれたりする。
持つものと持たざるものの力関係をこちら側も向こう側も常にヒリヒリと感じている状況に、正直耐えられなくなったのが最初の2ヶ月ほどだったと思う。
 
何度かいろいろな「せびり」や「厚意」に接し、喜んだりがっかりしたりした頃から、言葉は悪いけど金額とリスクさえ限定的であれば「どうでもいい(というより仕方ない)」というポレポレ状態になり、そうすると気のせいか以前のように外国人としていろいろな要求を突きつけられることもなくなっていった。
そういう意味で、前はなんだかんだ言って持つ者の立場から、持たざる者に対する無意識の遠慮があったのかもしれない。
 
渡航前にネットで見たケニア大使館の健康案内に、几帳面さや心配りが得られなくて精神を病んでしまわないよう、「受け入れたくない物は無理に受け入れない」という注意文を見つけて笑っていたんだけれど、良くも悪くもこれは本当に大切なことだった。

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(リゾートとしてのキリフィは、アフリカ有数のヨットの停泊地だ)
 

②善意と善行の違い

僕は、世界のNGOやNPO、社会事業の約半分は特に意味のない無駄だと思っている。
今回、零細農家を対象としたビジネスを選んだのも、あくまでもビジネスベースでかつ成果をドナーに依存しなくてもいい形が、自分の描く社会事業像に近かったからだ。
 
アントレプレナーの美点は、新しいこと、突き動かされて始めたちあげてしまうエネルギーにある。
一方で、そこからさらに突き詰めて、自分のやっていることは果たして自分目指しているインパクトの実現につながるのかを自問し続けることは忙しいスタートアップなら特に難しい。
 
善意が善行につながることは、ほとんどないのだ。
どんなに間違った政策も、事業モデルも、元をたどれば思いついた人の無邪気な善意だったりする。
だからこそ、善意をきちんと善行に至らせるだけの、仕組みが必要になる。
それをすることが現場レベルでいかに大変かを今身をもって痛感している。
これは、投資家サイドや中間支援者、ましてアドボカシーでは得られない生々しい実感だと思う。
 
 

③100%理解なんてできないし、同化なんてできないから差別化

①の内容にも通じることだけれど、「一緒になりたい、自分もみんなも同じでいたい」という甘い考えの延長には、自己満足(しょもないことを根拠に「一緒になれた」とぬか喜びする)か不毛な努力(一緒になれないことに焦りを感じて、真似事に走ったりコミュニテイに入り浸るだけになる)に陥ってしまいがちだ。
 
同じ釜の飯を食べたり、一緒に寝泊まりして生活を体験したり、自分のできる範囲で相手を理解しようとする努力自体には価値がある(それは友達と仲良くなるプロセスと同じだ)。
ただ、どんなにそうした行為を繰り返しても、100%自分の文化や経験としてそれをアイデンティティに取り込むことはできないし、ケニアの地元で育った農家と先進国で生まれ育った人間が同じような生活様式や価値観、行動様式を今更共有したところで、当事者の状況は変わらない。
 
むしろ、今まで自分が世界から与えられた幸運(経済的自由や、教育、経験など)を最大限レバレッジして、目の前の人の生活を変えられるかに注力する方がきっと有意義なのだろうと、Paternalistになるのではないかとビビりながらも割り切るようになった。
どのみち謙虚に仕事をするしかないのだったら、相手と同じになれないことに罪悪感を感じるよりも、自分は最大限自分にレバレッジをかけているのかを自問し続ける方が、成果につながるプレッシャーだと思う。
 

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以上、未熟を承知で書いてみた。
開発学や文化人類学の専門家から見たら、きっと既出の論点やらわかりやすい間違いだらけなんだと思うが、あくまでも勉強途上の記録として、ご笑覧頂ければ幸いだ。
 
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