気候変動スタートアップ日記

ケニアのスタートアップで企業参謀をしていましたが、気候変動スタートアップを創業するためスタンフォードにいます。米ブラウン大→三菱商事→ケニア。

MITのフィンテック講座:大企業はイノベーションを吸収できるのか?

フィンテックの授業は基本的にフィンテック業界に興味があるビジネスプロフェッショナルを対象としている。

プログラムでは、フィンテックの基礎知識に加えて、スタートアップや金融機関、ベンチャーキャピタルや研究者などの第一線の人々のインタビューから情報を得ながら(しかもテストを受けながら汗)、理解を深めていく。

 

今週の授業の中で、 特に印象的だったのが、大企業がいかにイノベーションを取り込めるかというテーマ。

オンライン決済や電話会社によるバンキングなど、かつて銀行が独占していたサービスが急速により便利で安価で使い易い新ビジネスに脅かされる中で、どのように大企業は生き残るのかは喫緊の課題といえる。

今回はスタートアップ、大手金融機関、投資家の三者へのインタビューが充実していたので、その中の1つを紹介したいと思う。

 

大手金融情報会社のStandard and PoorsのDeven Sharma前社長は、金融機関が取りうる戦略として以下を挙げていた。

 

戦術その1:アクセレレーターを立ち上げる

社外のイノベーターをかき集め、育成しつつ事業開発をするアクセレレータープログラムは、Wells Fargoをはじめ多くの金融機関で採用されている。

 

戦術その2:ベンチャーファンドを運営する

ベンチャーファンドは、アクセレレーターよりもアイデアが具現化しつつある、社外の企業家に投資をするもの。

いわゆるベンチャー投資の世界であり、うまくいけば投資先が上場して、技術的な貢献だけでなく、キャピタルゲインも上げることができる。

一方で、成長したベンチャー企業と自社でどのようにゴールをすり合わせて、互いに有意義な経営をするかは課題となる。

 

戦術その3:パートナー契約を結ぶ

金融事業者とIT事業者のパートナー契約を結べば、お互いに戦略的な広がりを生み出すことができる。

ビジネスでも異業種パートナーシップはよくあることである反面、少し怖いのは技術者側に金融のノウハウが移動してしまって、後々算入されてしまうリスク。

金融は基本的に規制でがんじがらめの利権産業なので、比較的安定しているかもしれないが、ここは中長期的には心配。

 

戦術その4:スタートアップを買収する

もっともシンプルな解決策。欲しいと思った技術ごと買収して自分のものにしてしまう。

唯一の懸念は、イノベーションを生み出す闊達なスタートアップを買収しても、親会社が旧態依然とした文化であったりビジネス観をもっていたりすると、競争の激しいイノベーションセクターで会社は生き残れないこと。

ほぼ全てのシナリオで共通する課題だが、金融はDisruptされる側、フィンテックはする側なので、ここの溝をきちんと埋める工夫なしにイノベーションを取り込もうとするのはかなり難しいと思う。

 

戦術その5:自社の子会社を立ち上げる

これができたらベスト。自社内ベンチャーでできるまでの人材と柔軟性がある会社は是非やるべし。

拡大するための戦略的買収も合わせれば、非常に大きな成長機会がある。

 

戦術その6:業界のコンソーシアムを作る

これはインタビューでなるほどなと思った点。

金融は基本的に複数アクターの間での取引を仲裁する仕事だけに、自社だけがイノベーションに適応しても、取引先が対応していなければ意味がない。

従って、メジャープレヤーこそ、業界をまとめて新しい技術が包摂されるリーダーシップを取る必要がある。

 

戦術その7:何もしない

この選択肢を聞いたときは思わず「そんなアホな!」と関西人ばりのツッコミをしてしまい、喫茶店で恥ずかしい思いをしてしまった。。。

これは、Standard and Poorsの戦略のことを言っているようなんだけど、「フィンテックが影響を与えている分野は必ずしも金融の全てではないから、別に影響ないなら何もしないのが賢明だよ」というコメントに愕然としてしまった。

彼は自社の事業を例にとって、「例えば、企業のクレジット格付け評価はエキスパートによる分析と判断を要する専門的な・・・」みたいなことを言っていたんだけれど、これはFacebookのプロフィールや携帯の支払い履歴データから個人の信用度を測るベンチャーや、機械学習を用いて従来の株式分析以外のデータから企業の業績を予測するヘッジファンドなど、「金融分析」の世界が無限に広がる今の時代には全く通用しない。(しかもS&Pはじめとする格付け機関のやり方は完璧には程遠いことはコーポレートファイナンスをやった人ならわかるはず!)

少なくとも今の規制のもとで地位を確立した少数プレーヤーを中心に構成される金融セクターに影響されない分野など皆無に等しいこということは確かだと思う。

まあ、そんな話が出てくるのも、単なる座学だけじゃなくて主要プレーヤーの生の声を聞けるこのプログラムの長所ではないかと思います。

ノーベル賞受賞者の発表について

ノーベル医学・生理学賞を受賞した東京工業大学栄誉教授の大隅良典の会見が話題になっていたようなので、印象的だったコメントを引用してみる。

ちなみに、個人的にはブラウン大学の Michael Kosterlitz教授が物理学賞を受賞しているのが胸アツで、同じく物理学賞を受賞しているLeon Cooper教授のクラスを思い出した(ブラウンでは、こうした最高の教授が、1年目の入門編の授業を教えていた)。

Brown’s J. Michael Kosterlitz wins Nobel Prize in Physics | News from Brown

 

野心のタイムライン

今回の受賞が特に注目された理由として、受賞理由となったオートファジーが応用ではなく基礎研究分野であるということが挙げられる。

このことを聞いてから、「目的が応用研究ほど明確でない中で、どうやって方向性をもって20年以上も信じて研究できたのだろうか?」と考えていた。

その答えは、目前のキャリアではなく、5年10年での問題設定らしい。

若い人が少しロングタームでですね、2年間で何するというのではなく、まずは大きな問題設定ができて、こんなことにチャレンジしたいということが5年10年ぐらい先まで若者が考えて。もちろん日々は具体的なことというのに左右されますけど。こういう問題を解きたいんだと若い人たちが本当に思えて、そういうことをサポートするような社会の雰囲気というのがとっても大事なんだと思っています。

IT社会の今日、世界中の情報が専門家やプレーヤー間で同時にやりとりされる。ビジネスだって、世界中のすぐれたアイデアがネットの記事などであっという間に陳腐化する。それだけに、原点を持つことが大切で、それは「現象」なのだとか。

ただ今、生命科学はたいへんな進歩をしていて。例えばオートファジーの論文はこの頃は毎年5,000ぐらいの公表があるという時代になっています。そういう情報のなかで、それを全部自分で消化するなどということは到底不可能だと私は思っています。なので、実際私は、若い人に「自分がなにに興味があるのか?」ってことを本当によく考えてみてほしいということを思います。それは、論文のなかの1つの遺伝子に注目するということでは、大きな問題はなかなか解けないんじゃないかと思っていて。私は自分で現象を見続けたところからスタートしていて。いつもそこに帰れる。私に最初に見た現象は、私のラボでは今でもみんなが顕微鏡で見ている現象で。「いったいなにが起こってるんだろう?」ということに帰れる現象を自分で持っていたというのが、どんなことがあっても続けられた1つのモチベーションだったのかなと思っています。

 そして、それを裏付けるのは、科学自体にゴールはなく、次から次へ湧き出る疑問に答え続ける終わりのない世界だというのは、科学だけに限らないのだと思う。

実際に研究をスタートしてからは、これがノーベル賞につながる研究だなどということを思ったことはほとんどありません。これはもう正直な気持ちとして、そういうことが私の励みになったということもなかったような気がいたします。 科学というかサイエンスというのは実はゴールがなくて。なにかがわかったら必ず次に新しい疑問が湧いてくるということで。

 

サイエンスの役割

とはいえ、ビジネスベースで目的を明確化するプレッシャーは根強いらしく、そうした圧力の中での研究よりも、「社会の余裕」の大切さも強調されてきた。

上述の興味を模索する研究を応援する社会の役割とサイエンスの役割。

科学はいま役に立つことがとっても問われていますが、役に立つというのは非情なもので。役に立つというのが、来年、薬になったということだと、13年後に薬になったというとらえ方されると、本当にベーシックなサイエンスは死んでしまうと思うので。人間の長い歴史の中で、私たちがどんなことを理解していったらいいかっていうふうに思うかということをとても大事にする社会。

 これは実業についてもレベルの違いはあれ、通じるのではないか。

「これをやったら必ずこういういい成果につながります」ということを、サイエンスでいうのはとっても難しいことだと思います。なので、もちろんすべての人が成功できるわけではないんだけど、そういうことにチャレンジするというのが科学的な精神だろうと私は思っているので。

 

日本の研究システムが抱える課題

問題はお金だけではなく、チーム。これは日本企業のイノベーション課題と同じ気がする。そもそもリソースがなかったり、あっても共通のゴールに向けたアラインメントができていなかったり。

日本のシステムは個人研究になっていて、なかなかみんなでシェアしながら共有しながらというシステムができませんね。ケンブリッジにに関しても、私びっくりしたのが、ケンブリッジに行って、ファシリティみたいなのをめちゃくちゃ作って、若い人は何でもそこで使えるというような、そういうことにお金がかけられている。

 

logmi.jp

 

 

www3.nhk.or.jp

事業開発の考え方

マクロでみれば、業界の規模や海外の事例をみて、それと手が届く領域のマトリクスを考える方法。

ミクロで見れば、いろいろなステークホルダーに聞き取りをして、そこから情報をとって中に入り込むやり方。

社外の情報収集もぬかりなく。

やる事が山積している。存分にやる時が来たと確信する。

 

組合のナゾ

入社から1年過ぎた頃から、仕事で「これぞ日本企業!」的なイベントに遭遇する機会がめっきり減っていたのだけれど、今日は久しぶりに新ネタを発見。

いわゆる「労働組合」なるものの委員に選ばれて、会議中ずっとこの「日本的」と言われる組織の中の組織について考えていた。

アメリカとかでユニオンといえば、もう少し闘争的で、利益相反を丸呑みにして経営陣とうまくやっていく為のコミュニケーションツールとして機能している日本の労働組合とは趣が違う。

しかも、聞けば日本における組合経験者は、出世コースとされているというから、未だに冷戦時代のアレルギーが残るアメリカ資本主義社会から戻ってきた自分にはかなりのカルチャーショック。

とはいえ、無駄な組織がただ残るということもないと思うので、いくつか「なぜ組合が日本企業で求められるのか?」というお題で考えていたことを書いてみる。

※多分に他社の友人から聞いた話や本で読んだ話もあるので、うちの会社とは直接関係ないことは強調しておく

 

その1:シニアと若手のコミュニケーション

360度評価が一般的ではなく、仕事の責任関係も曖昧な日本企業において、偉くなればなるほど現場の生の声から遠ざかっていくことはさけられない。

そんなコミュニケーションの断絶の中で、日々意思決定をするときに、組合であれば、事前にリスクを取らずに壁打ちする相手になりうる。

まさか普段上下関係をひっくり返して、部下に意見を求めるわけにもいかない、体育会型の組織ほど効果があるのではないかと思う。

組合対経営陣という図式はかつては健全な対立からバランスをとるものだったのかもしれないが、歌舞伎や茶道と同じく「立場」と「型」としての「対話」はかつての熱気を失って、むしろ普段は上下にいる人間が対等な立場を演じるロールプレイになっている。

また、ロールプレイであるからこそ、組合の場での率直なやりとりは、普段の仕事での上下関係に影響せず、権威も損なわれない。

経営陣からすれば、安心して様子を探れる便利な場所なんだろうな。

組合員からの「質問原稿」まで作ってくれる気のきいた組合もあるというから興味深い。

 

その2:社内ネットワークの場

ロールプレイとはいえ、普段は雲の上の役員やら上司やらと会社のあり方について率直に話せる場は若手にとっても貴重な場になるはず。

会社の方針などについて、生の話が聞けるというのもそうだし、中間管理職をすっ飛ばしてお偉方と交流できるのは若手にとっては魅力的な機会となる。

加えて、組合が大好きなアンケートやイベント、特別企画の類は、専用にフルタイムの人がつくのも一般的らしいので、普段は部署の垣根を越えない会社でも、そこの担当者同士としてなら自分の属性をいったん離れてネットワークを広げられる。

社内に知り合いが多いことは、終身雇用の日本企業においてはすぐさま強みになる。

 

その3:才能発掘の場

最後に、こうした会社の縦と横の人脈をつなぎ、普段断然しているコミュニケーションを補う組合の場は、会社にとっては才能発掘の場にもなる。

そこでは人望が評価されるだけではなく、時には経営上・人事上のきわどい施策に対して、経営陣と一般社員の利害の仲裁者として「大人の対応力」が求められる。

もちろんこれは利害代表というよりは、折衝なのはいうまでもなく、組合のトップともなれば何十年も年次が上の経営陣の部屋にも自由に出入りして交渉を行う。

ここで実力(いい感じに空気を読みつつ、若手をまとめ上げるサラリーマンスキル)を認められれば、会社としてその人にいいポストが行くのは当然とも言える。

 

会社から見れば、優秀そうな若手に仕事を任せるわけにはいかなくても、管理職が制度上入ることを許されず、平均年次の若い組合という場なら、自由にやらせてみても害はないのだろう。

 

と、妄想をしてみた。ほぼ、山崎豊子の「沈まぬ太陽」のイメージに流されているので、別に自分の会社がどうとかではないことだけはご承知あれ。

沈まぬ太陽〈1〉アフリカ篇(上) (新潮文庫)

沈まぬ太陽〈1〉アフリカ篇(上) (新潮文庫)

 

 

 

 

 

MITオンライン授業で共同プロジェクトはできるのか?③_反省編

月曜日からずっと書いているMITのフィンテック講座。今日の正午がMITのクラスの課題締め切り。

初のグループワークは絶望的な状況からなんとか巻き返し、チームの底力もあって無事に今朝一番には全員のタスクが完了して、課題を提出できた。

とにかくフルタイムで仕事をしないといけない中で、こんなギリギリは一歩間違えれば確実に致命傷になっていたと思うと、やり遂げた感覚よりもむしろ反省ですね。

 

間に合わせる為にやったことは炎上マネジメントのほぼ定石で、できるところから人を巻き込んでムーブメントにしていくという感じなのだろうけど、ここまで見ず知らずの人とプロジェクトをするのにかなり無警戒だった自分に対する反省もあり、そもそも炎上させないためにどうしたらいいんだろうということを考えている。だって、炎上させたらプロジェクトマネジメントじゃないし。

 

反省編:締め切りより早い段階で作業の割り振り・見通しをつけておくべきだった

コースの紹介部分では一週間あたりの平均コミットは10−15時間と書かれており、それなりの時間をクラスに振り向けることを前提に参加している。

僕自身も基本的に座学は土日にやって、足りない分は平日のランチ時間や帰宅後に時間を作っていた。

課題の提出は一週間ごとなので、日々追われることになるのだが、面倒なことに次の週のレッスンは提出の一週間前まで公開されない。どんな課題をやるのかは毎週水曜日にならないとわからないのだ。

とはいえ、急な用事や他にもやらねばならない仕事関連のタスクは山積みなので、少しずつ作業が遅れて気がつくと仕事のあとに睡眠時間を削る羽目になる。

 

個人ベースの課題はこれまでも毎週出ていたのだけど、「えいやっ!」でやりきる個人技が通用しないだけに、翌週の課題がでたらすぐにコラボの手配をすべき。

 

明日はプログラムとか、オンライン授業で共同作業をするメリットとデメリットについても書いてみたいと思う。