気候変動スタートアップ日記

ケニアのスタートアップで企業参謀をしていましたが、気候変動スタートアップを創業するためスタンフォードにいます。米ブラウン大→三菱商事→ケニア。

オンライン授業で共同プロジェクトはできるのか?①

MITが外部向けに有料で提供しているフィンテックのクラスに参加している。

約三ヶ月にわたって、世界中に散らばった1000人弱の参加者がフィンテックについてのオンライン授業を受けつつ、ビジネスプランを作り上げるというカリキュラムだ。

自分がエントリーしたのは9月の回で、ようやく座学からビジネス・プラン・プロジェクトが動き出している。

 

ところが、チーム作業になった今週、いきなり躓いた。

参加者の多くが社会人のせいか、はたまた時差のせいか、とにかく見ず知らずのメンバーでランダムに作られたチームでは、共同課題に歯が立たないのだ。

水曜日に課題提出の期日が迫るなか、そもそもオンラインポータルにログインしているメンバーが過半数にすら満たない。

それでも二日後にはなんとかして、課題を出さないといけず、そのためには普段仕事をしている社会人がなんとか分業をして、作業をしなくてはならない。

さあどうするか。。。

いろいろ試してみて、タイトルの問いに答えられるようになりたい。

 

www.getsmarter.ac

執筆者として自らに問うこと

週末にPCデータ整理をしていたら、ちょうど2年前に卒論を書いていたときのメモが出てきた。

研究の道へは進まなかったけれど、当時300ページ近い論文を書きながら学んだことは、仕事の上でも大事だと実感することが何度もあった。

論文の価値は自分の価値であり、社会へ自分の問いを突きつけることは何も学問に限らず事業でも同じくらい重要なはず。

一足飛びの横着な未来観を持っても、地道に積み木を積んでいく者にはかなわない。

仕事の方でも、ちょうど明日から新しいアサインメントが始まる今のタイミングで、肝に銘じたい。

  1. 自分は読者をどう導きたいのか?明確な意志はあるか?
  2. 自分の論文の価値はどこにあるのか?情報なのか、考え方なのか?
  3. 自分のアイデアから逃げていないか?
  4. 伝わらないんじゃないか、意味が分からないのではないか、という恐怖に対抗する唯一の方法は書き続けること。そして、書いては直し、書いては直し、という作業を地道に継続すること。恐れることなく、周囲に感想を求めること。
  5. 一旦筆を執ったなら、評価判断を保留しない。
  6. 思考する自分と、書き上げる自分と、そして批評し編集する自分は別々に持たないと行けない。今の自分が同時にやろうとしても、筆が止まり、思考が停止し、編集するべきものが生まれなくなる。思い切ってそれぞれの行程をやりつくすことこそ、最良の文章を生むための条件。
  7. 分からなくなったり、つまらないか不安になることを見越して、あらかじめフィードバックを受けられる環境を用意しておく。
  8. いくら面白くても、本筋に関係ないなら、早い段階で切り捨てる。書けば書くほど、のめり込み、挙げ句の果てに全部削除することになる。
  9. 執筆は積み木。毎日小さなピースを削りだし、整えて積んでいく。
  10. そしてあるとき振り返って、修正する。違和感があるときにした小さな妥協が全体のひずみになっていく。愚直に、謙虚に、容赦なく。

リーダーシップとアントレプレナーシップ

リーダーシップとアントレプレナーシップは違うということをふと感じる。

アントレプレナーは自分の興味・必要に突き動かされてゼロから何かを作り上げる人。

リーダーは(アントレプレナーがリーダーになることは多々あるものの)必ずしもゼロから作る人ではなく、いわゆる大企業のプロ経営者のようにすでにあるシステムを変えていく人も含まれるし、ビジネスの外の芸術や時には生活の分野でも数多くいる。

しばしば、「何かをやり遂げる力」(いわゆるgrit)のような共通点から、リーダーとアントレプレナーが混同されて語られているような気がしてならない。

集合としてみれば、リーダーという大きなくくりの中に、アントレプレナーは含まれているのだろう。

 

 

歓送会の季節

このところ会社内でのローテーションや転職などで、身近な人を送り出すことが多い。

毎週のように何がしかの歓送会があるというのは多少異常なのかもしれないけれど、商社において人が世界中のあらゆる事業を手がける限り、こうした異動は避けられないし、かつて同じチームで仕事をした信頼ある戦友とまたどこかで会えるのではないかと思えるのなら、そこまで悪いことではないのかもしれない。

社内のネットワークが世界のビジネスネットワークともつながる世界だけに、縁を大切にしたいと改めて思った次第。

死地

死地をも掴む経験は得難いものだ。

我が身を大事に思えば思うほど、人は努力し、自らの生命を賭した一瞬から離れていく。

栄達を目指せば目指すほど、絶頂からの転落こそあれ、我が身を滅ぼしかねない挑戦から人は離れていく。

僕は未だ我が身の近くに死人を見ない。

死屍累々の分野に身を置けども、目の前で人の生死を見ない。

なんという怠惰だろうか。

未だ挑戦が足りないのだと、本物を目の当たり見て、自覚する。